2003年チベットの秘境 可可西里「ココシリ」 報告

はじめに

昔読んだプルジエワルスキーやS・ヘディンの探検記に書かれた崑崙山脈の南支脈の可可西里山脈はこの2人の探検家以後訪れた人がなく、1994年日中合同学術探検隊が調査した記録が唯一の資料であり、過去2回チベット横断6.000キロを行った次はラサから北上し・・縦断・・を試みるという単純な発想と秘境可可西里への憧憬つのり、出発前の現地旅行社とのやりとりでは、ココシリの卓之湖付近まで"道あります"に半分程度の期待をもっての出発となりました。

SARS騒ぎのうちに関西空港から

4月24日 関西空港―成都
関西空港はガラガラ、全員マスク着用と気持ち悪い。後で知ったがこの日のフライト以後、関西―成都便は廃便。又中国への渡航自粛でわれわれが最後の客だったらしい。
4月25日 成都―ラサ
 空港には今回のガイド辺 次と運転手、落 桑が迎えにきてる。辺 次は34歳 歌の上手なかなかのハンサムで14歳まで僧呂だったという。行く前から念押ししてた車をチェック、4500ccの豊田 砂漠王の名前とおり過去2回に比べかなり上等。ラサ周辺を10年しか走ってないとガイドは自慢してた。又事前にやかましく請求してた酸素ボンベは
いつものことながら、ビニール袋に酸素が詰まってる無いよりまし程度の代物でした。
4月26日(曇り) ラサ市内

4月27日(曇り) カンパ峠まで 
 高所順応をかねて、カンパ峠「4.600m」とヤムドク湖往復する
4月28日(曇り) ラサ-納木湖―当雄  230キロ 所要8時間40分
4月29日(曇り 雪) 当雄―雁石坪  380キロ 所要9時間30分
4月30日(曇り 雪) 雁石坪―五道梁 270キロ 所要4時間10分
 ゴルムドからラサまで鉄道工事でトラック多い。五道梁の直前で北に可可西里山脈が見える。公路から離れて西にまったく平坦な湿地の高原はどこまでも走れそうだが、困ったことに道が工事ですべてレベルアップしており、まず車が下れそうに無い。
 事前の情報で小道ありますといっていたガイドもかなり自信喪失の感じ。
招待所に入り 早速地元で情報集め。ガイドの話では 車1台で行くのは自殺行為で2台準備して、ぬかるみに入ったら助け合っていくべしと、自然保護の連中に言われたとか。青海省から少数の砂金採りと塩採りが毎年やってくるが、どのように行ってるのかは不明等、バッド・ニュースという。ラサ出発から感じていたが 彼等は危険な可可西里など本当は行く気なく、バッド・ニュースを伝える顔が気のせいか明るい。

5月01日(曇り) 五道梁―ゴルムド 270キロ  所要4時間30分
 出発して30分ほど公路の西側の川に立派な橋があり道は左に、この辺レベル差なく可可西里方向の高原に進めるが、到るところに水たまりがありかなりの湿地で今回の目的を完全にあきらめる。以後鉄道工事現場見学みたいな道ばかり、崑崙山脈をぶちぬいたトンネルが3ケ所、試運転の列車も走っておりびっくりする。ラサからゴルムド間1160キロの途中人の住む場所は5ケ所くらい、こんなところに鉄道引いていったい誰が乗るのか判らない。
5月02日(晴れ) ゴルムドー黒与河  700キロ    所要 10時間
 積み込んだテントほか使うことなく日程があまり急遽行く先を変更、黄河源流記念碑とアムネ・マチンを見に行くこととし、その旨ガイドに話す。道は完全舗装で標高も低く居眠りドライブ、やがてココノール湖がみえ水面が青く光ってる。このあたり放牧のヤク、羊多くやっと景色に変化が出てくる。出発前に予約してた青海賓館に着けばSARS騒ぎでお客なくホテルは閉まっており、引き返し黒与河の招待所で泊まる。 
5月03日 (曇り) 黒与河―温泉  350キロ   所要8時間
 温泉とは名ばかり 確かに招待所の近くにたまり水みたいな温泉あったが体を拭く程度で入浴などできない。入浴の淡い期待はパー

5月04日 (曇り) 温泉―瑪多 340キロ    所要9時間
 黄河源流記念碑をみにいったが、湖を二つ過ぎて走るもまったく見つからない。2時頃湯を沸かし湖のそばでラーメンを食べてると突然雹が降ってきて天気悪くあきらめて引きかえす。あとの調べではもうひとつ湖がありそれを過ぎた場所だったらしい。
5月05日(曇り・雪) 瑪多―瑪沁 290キロ   所要8時間40分
 この道は悪路と聞いてたが ほとんど舗装の道4300m位の峠を3ケ所越えながら西側に見える?はずのアムネ・マチンは天気悪くまったく見えず期待ははずれ。
5月06日 (曇り) 瑪沁―貴徳 340キロ    所要8時間
5月07日 (曇り)貴徳―西寧 110キロ    
5月08日 西寧・飛行機・北京・成田

SARSに降参

 新聞報道で出発前からいやな感じだったが、青蔵は大丈夫と考え計画実行した。参ったのは青海省に入ってから道中での消毒計4回と西寧での健康診断。これがないとホテル泊まれませんといわれ、病院でレントゲンほか血液検査してその証明書をもってホテルに。ホテル入り口で又熱測られやっと部屋に、テレビ見ると"宣戦 SARS 主戦区 戦場"と恐ろしげなニュースばかり。加えて帰国の北京からのフライトがほとんど運航しておら
ず、5月08日閑散の北京空港着2階の国際線カウンターで幸運にもJAL成田便があり
 帰国しました。購入済みのCA便のヤスチケットはパー。加えて成田から自宅まで新幹線といやになりました。更に会社は10日間の出勤禁止とさんざんでした。

スタッフ

 ガイド。 辺 次 Pempa Tsering 34歳
 元僧呂という陽気な男、時に演説が始まるのには閉口したがすごい美声で車の中でよく歌ってた。お経と絵を印刷したコピーを準備してきて食事にのたびに,店の人に渡してた。
ドライバー。 落 桑 lop Sang 41歳
 熱心なチベット仏教信者で、招待所に着くとすぐ部屋の床でお祈りの小枝を燃やし
 ラサから持参した水を毎朝われわれの手のひらにかけてくれた。
困ったのは大変なモスラム嫌いで青海省は50%くらいモスラムで道中の食事にチベット風が少なく、いつもまずそうに食べていた。運転におかしな癖?があり発進はサード・ギヤからで、スタートのときのろのろで参った。
食事
 朝は日本から持参のパンとクラッカーとインスタントコーヒだけ。昼はうどんか炒飯
  夜も現地食で3品程度でしたが、体調は順調でした。ガイドはヤクの干し肉を薦めてくれたが、歯が立たず、ドライバー愛用のツアンパも遠慮しました。

あとがき
 天候に恵まれず、又甘い予測が外れて可可西里に入れず、行き当たりばったりに走り回っただけ。過去2回のチベットに比べて道が格段によく、最高5200mの標高以外青海省は2800mから4100m位に泊まっていたので体は楽でした。

(雨宮宏光記)